囲碁YouTuberとしても人気の日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士 柳澤理志五段が鹿児島県に来られて、西郷隆盛公の碁盤と城山の西郷隆盛洞窟の囲碁を打つ銅像を取材されてYouTubeで公開して下さりました。
幕末、攘夷派の公家三条実美ら七名の公卿は、京都を脱し長州を経て筑前太宰府へ移されることになりました。 その際、福岡黒田藩が扱いに紛糾して慶応元年1月17日から2月11日まで唐津街道の赤間宿の黒田藩御茶屋に5名(五卿)を逗留させます。このとき囚人のような監視がついたことから三条は薩摩の西郷に手紙を出して打開させるのですが、それに合わせて維新志士も集まります。西郷隆盛の滞在した料亭(現在は解体)には坂本龍馬も訪れて囲碁を打ったとされて、料亭の中山家には2人が打ったとされる碁盤が今も残ります。
慶応元年二月は西郷隆盛が坂本龍馬を連れて鹿児島に帰って来たときでもあり(坂本龍馬の湯治の霧島への『新婚旅行』は翌慶応2年)、この碁盤はその時に西郷が所有したものではないかとされ、西郷と龍馬が囲碁を打った可能性があります。
西郷隆盛の子菊次郎の曾孫(隆盛からは玄孫)から共通の知人を介して日本棋院鹿児島県支部連合会役員に譲渡され、西郷研究の第一人者だった故)山田尚二元西郷南洲顕彰館館長の簡易鑑定で本物の可能性が高いとの結果を受けています。
温泉好きな西郷隆盛は各地の温泉地に逗留されて囲碁を嗜んだことは知られていますが、鹿児島県内には、西郷が湯治で逗留し愛犬ツンを貰ったことでも有名な川内高城温泉でも旅館富士屋(旧不二屋)で打ったとされる碁盤と碁石があり、現在は薩摩川内市歴史資料館で所蔵されています。
また、西南戦争で城山の洞窟に籠城した際、囲碁を打ってときを過ごしたことから、西郷城山洞窟の前には囲碁を打つ西郷隆盛像が建立されています。
柳澤理志プロは囲碁YouTuberとしても活躍されて、アイドルに入門から教えるものやショート動画1000本ノックなど大人気ですので、是非チャンネル登録をお願い致します。
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